2009年から、ここ国立本店で新しくスタートした『本のしごと研究室』では、隔週でゲストを招いて本とのつながりを考える、『本のしごとトーク』を行っています。その『本のしごとトーク』第12回目が、8月1日に行われました。

1冊の本が完成にするまでに、どんな工程があって、どれだけの人が携わっているのだろう。そんな事をふと、思ったことってありませんか?
本屋さんで積み上げられた、たくさんの話題の新刊書籍。気になる作家さんの新作を手にするより先に、目に飛び込んできた装丁の本を手にしちゃうことってありませんか?
それまで全然知らない作家さんだったのに、その装丁に惚れてしまい、お買い上げ。書籍の世界にもジャケ買いってあると私は思う。というか、私はそうやって何冊も本を買っているもの。それは、文芸だろうと、アート本だろうと、料理本だろうと、やっぱり装丁が気になる。
装丁には、製本という工程が含まれる。
数ある製本所でも、今となっては稀少となった手製本で本の仕事に携わる、美篶堂の上島明子さんが今回のゲスト。
上島さんの父である美篶堂の親方が、1983年に美篶堂を設立。上島さんにとって、紙はとても身近なものとして育つ。紙を裁断した時に出る「さいらく」と呼ばれる、紙の破片が上島さんにとっての遊び道具であった。
1997年、美篶堂に上島さんが入社した年。時代はバブル崩壊後の日本。世間では人件費削減の波が押し寄せ、その波はもちろん製本業界も関係のない話ではなかった。
「製本は仕事だとは思っていなかった。憧れではあったけど、きつい仕事だし。でも、私は何々屋さんになりたかった。何屋さんかは具体的ではなかったけど。」
製本会社は中国の工場で機械製本へ流れ始める。人件費削減の為、美篶堂でも機械製本の動きがやってくる。しかし、親方は機械製本の道を選ばなかった。
「親方は一緒に機械化になる時代を開発してきた人。散々、機械もやったの。でも、職人さんは機械をいじれなかったの。それに、高いくて新しい機械をなかなか買えなかったのよね。」
笑いながらもそう話す上島さん。
少部数でもいい。機械に頼らず昔ながらの手製本で職人さんを残すことによって、今では稀少な会社の1つとなった。ただ、手製本とは言っても、機械を使わないというわけではない。機械を使う工程もあるが、なおも人の手によって製本されるのだ。丁寧に手製本された1冊1冊の本は、やはりどこか機械製本の本とは違う温もりを感じるのは、私だけではないだろう。
1999年に美篶堂のwebサイトをスタートさせる。
まだまだインターネットが一般家庭に普及していない時代ではあったが、webサイトをはじめた事によって、いくつかオーダーもきたという。
そして、今までは製本会社としての美篶堂だったが、上島さんの提案によって、ノートやメモパッドといった文具用品が生まれる。ミュージアムショップが好きだった上島さんは、とある日ミュージアムショップでイタリア製のノートを手にする。それはハードカバーのノートだった。
「日本製でハードカバーのノートってなかなかなくてね。でもイタリアだとか海外製のノートは値段が高くて。美篶堂だったらさほど高い値段にもならずに作れるんじゃないと思ったの。プレゼント用にだったらいいかなって。」
そうして、今ではすっかり有名になった、色鮮やかな美篶堂のノートが誕生したのだ。
1983年生まれの私は、実のところ美篶堂をはじめて知ったのは、このカラフルなノートだった。日記用にしてはちょっと勿体ないなぁ、なんて思い買ったはいいが、なかなか使えずにいたのを覚えている。そして、それから数年後に美篶堂が製本会社だという事を知った。
2003年、上島さんはお茶の水にショップ、ギャラリーを兼ねた工場を持つ。
「お店を持って良かったことは、相手の方とコミュニケーションが取れること。今までは、手渡してしまえばそれまでだったけど。」
そうして、今では開催事に必ず定員オーバーになってしまう程、大人気の製本のワークショップもこのお茶の水のショップでスタートさせる。
「美しい本が作られているのは、平和だから。平和である為に、美しい本を作り続けたい。」
と上島さんは話す。戦後、紙がとても貴重なものだった時代から、まだ100年も経っていない。印刷技術は進化しているかもしれないが、現代ではメディアの発展によって、雑誌は何も紙メディアである必要がなくなってきているし、小説は携帯電話で読める時代だ。あと数年の内に、書物の持つ価値が大きく変わるだろう、と私は思う。
丁寧に製本された本や、きれいな紙に印字された活字に触れたとき、私が抱く穏やかな気持ちは平和に繋がっていたんだなと思った。
レポート:本のしごと研究員 かわしまむつみ

















